1984-07-24 第101回国会 衆議院 社会労働委員会 第27号
同僚の教師とかあるいは用務員、その家族等の御好意を得まして、私も当時の小使室でいろいろと世話をされて乳幼児期を過ごした、こういう経験があります。当時はごくわずかなそういったいわゆる職業婦人だったと思うのですけれども、今や女性の多くの者が、そして働く者の四〇%の者が職場に進出をしている。そういう中におきましてこの育児休業、これは非常に重大な問題でございます。
同僚の教師とかあるいは用務員、その家族等の御好意を得まして、私も当時の小使室でいろいろと世話をされて乳幼児期を過ごした、こういう経験があります。当時はごくわずかなそういったいわゆる職業婦人だったと思うのですけれども、今や女性の多くの者が、そして働く者の四〇%の者が職場に進出をしている。そういう中におきましてこの育児休業、これは非常に重大な問題でございます。
○勝又武一君 戦前から戦後にかけましても、まだまだその用務員の方々の身分の確立なり待遇改善、あるいは職務の明確化等が不十分でございまして、お年を召していらっしゃる委員の方はよくおわかりと思いますが、戦前はまさに小使さんと言いまして、学校の小使室で常に寝泊まりの二十四時間勤務、こういうことが行われておりまして、そこの部屋で全部寝食ともにしたというような状況でございました。
学校の小使室に入って夫婦二人が生活をしておったわけですが、節約をどんどんいたしまして、最後に退職金を含めてその夫婦が貯金通帳へ貯金しておったお金がちょうど百万円ありました。それで、そのお金を持って学校を出たわけですが、出るともう住む家もなく、土地もないわけです。 そこで、実は私どもの方の家に転がり込んできました。
女の先生が体操の服に着がえるような場合に、小使室に行って小使室でもってやります。赤ん坊におっぱいをくれる場合に、これも小使室でもってやる。おしめを取りかえるのも小使室でやる。そういう想像もつかないような状態でもって先生たちの生活はなされておったし、それから理科の実験をする場合の準備室なんというものもなかったわけですよ。
その他の項におきましては、その他というのは壕舎、事務室、小使室に寝泊まりしている者というように書かれておりますが、このその他におきましては三十一年八月が七・六%に対しまして三十六年八月は九・二%ということになっております。
それから最後に、内山静太郎という人ですが、五月の半ばごろ、小使室に丸田総務課長がやってきまして、全国税を脱退せよ、新しい組合に入ったらどうか、そういうことをいわれたわけです。
それから第四、徳島税務署総務課の総務係長の美藤という人が、小使さんの福島さん、久野さんという人に対して、小使室において脱退届の様式を示して、今度こういうものを出すことになったから、六月の二日までに書いて捺印しておくようにと、こういうふうなことを申し渡しまして、そうして一日から二日にかけ、三回にわたって、もう書いたか書いたかということで督促しておるわけなんです。
五月工十七日、徳島税務署総務課総務係長美藤何がしは、小使福島、久野に対し、小使室において脱退届の様式を示し、「今後これを出すことになったから、六月二日までに書いて捺印しておくように」と申し渡し、六月一日から六月二日の三回にわり「書いたか」と督促を行なった。
そこで一応小使室に行って、若干の休憩をしたそうですが、その休憩後も、なおまた取り調べをされ、取り調べの途中においても、あなたが言わなければ、何べんでもこういうことをやるのだというようなことを警察当局から言われた。
学校ならおそらく小使室とか小供たちの手洗いなんかもあるでしょう。そういう衛生的な設備と同じものだという考え方でなければ、いつまでたっても学校は焼けるのです。それは根本的な問題として十分お考えを願いたいわけです。
少年が犯罪を犯してつかまる場合は留置場へ入れられる、この留置場の空気というものは御承知の通りのものでございまして、警察庁としては同じ留置場でも監房は別になっているということでございますが、雰囲気はもう同じことでございますし、それから触法少年とか家出少年の場合は保護室がある、保護室のないところでは小使室とか少年係の部屋にとめるというようなことでございますが、こういう少年の警察段階における施設、これは検討
それから宿直室がありませんので、四畳半程度の小使室の畳の上に宿直をし、男子の居間になり、それから小使さんの仕事場になる、こういうような状況です。たまたま仮設されております五十五坪くらいの建物が夏になりますと、室内温度が四十度くらいに上り、上はトタンぶき、それか、木造の仮設舎であります。しかしここも、とうていこれを収容することができない狭隘な状態であります。
それから、警察側は警部補ということでありますが、国民の方から見ますと、警部補というのは幹部に見えるのでありますが、そういう人たちも第二組合員も、小使室の前に三十人ばかりの人が寄って何か相談をしておったということは、当日の出直の小使さんがこのことを証明しておりますし、それから、責任者である神川警備員も、どっか呼び出されて証人としていつでも出てもよろしいということも言っておるのであります。
そこへ会社側の人た、ちも加わりまして、三十人近い人が校門を入った所の小使室の前の方で相談をいたしました。その際に、小使さんに、お茶を出してくれぬか、こう要求をいたしましたが、小使さんは、三十人も四十人もの人のお茶の用意はしておりませんから、必要な人はここで飲んで下さいと言って断わっております。こういう事実がございます。
○石井政府委員 ただいまお話のありました通り、本庁舎は明治四十五年の建物でありまして、かなり年数を経ておりますが、その他の付属施設、たとえば道場あるいは車庫、倉庫、小使室、こういったようなものはいずれも昭和年代に入ってからの建築にかかるというふうに私どもの事務当局においては調査いたしておるのでございます。
この子もずっと引っぱられ続けではなく、間々には出てきまして、私と一緒に運動場で署長のジープに乗ってみたり、小使室で遊んでみたりしていましたが、早く帰りたいということを申しておりました。
最初は小使室でございます。小使室は四畳の間でございますが、四畳の間におきまして警察官二人で供述を聞いておったのでございますが、同日午前十一時ごろになりましたときに、北野被疑者が、心臓が痛い、肝臓が痛いと、こういうふうに申されましたので、取調べを中止いたしまして、ちょうどそこにありました毛布二枚を敷きまして、その上にオーバーをかぶせて休ませたのであります。
ただいまの御報告によりますと、十一時ごろに北野さんが心臓、肝臓の苦痛を訴えたので、医者を呼んで注射をしてもらった、それで小使室において取調べを中止して毛布と外套をかけて寝かしておった、休憩しておった、こういう御報告なのでありますが、現実には、北野氏は、寝かしておったままで、寝かされたことは事実かもしれませんけれども、取調べを中止することなく継続されておった、夜の九時ごころまで取調べを継続されておったということを
なお、身体検査の問題でありますが、この方は警察の方がお詳しいかと思いますが、われわれの調査いたしましたことだけを申し上げますと、昨年三月の十五日に、野々山という捜査主件が北野を取り調べるために、午前七時ごろ刑事を北野方にやりまして任意出頭を求め、午前八時十分ごろに本人が警察署に出頭いたしましたので、部屋の都合上小使室——これも畳敷きのようでありますけれども、小使室で取調べをしたところが、午前十一時ごろになって
これは今市市ですが、渡辺光、これは小使室で休憩中脳溢血で卒倒して、すぐに森病院に入院したが重体であるということが新聞に出ておりますが、この点について調査されましたか。
或いはうどんなんかもやつておるところもありますが、これは大体業者任せでございまして、小使室の隅つこというような所で大体非常な時間の制約を受けて、噛み噛み勉強をするというような状態で、非常に健康の立場からもゆるがせにできないような状態でございます。
○小林(信)委員 とにかく〇・七坪から一・〇八坪に増加されるような傾向であるのは非常にうれしいことなんですが、私たちの心配する点は、もう新制になつてどこでも職員室、小使室、特別教室の完成を要生しておるときでございまして、これがまた途中で一・〇八というようなことになると、せつかく気負つております建築欲もそのために阻害されたり、また一・二六坪が妥当であるのに一・〇八坪でここで終つたとなると、いつの日にかまたその
少くとも特別教室あるいは小使室とか宿直室とかいつたような管理室、こういうようなものもひつくるめたところのものがこの政令では規定されなければならないと私は考えるのでございますが、私の考えは間違いでござまいすか。第五條の立法精神から言つて。
台所の方の小使室にかつぎ込まれているうちに死んでしまいました。税務署に行かれた方は、皆さん、業者がどんなに血走つた目をして、困つた顔をして真剣になつているかということはおわかりだと思います。税務署がそういう態度でもつてやつて来ておることはみな業者は知つておるのであります。